【桜の花が咲く季節に】
平成30年5月3日
魚沼の桜をあれほど待って待って、豪快に咲いてまた散りました。
去年の秋のこと。
リリーアンバサダーとして活動するにあたり、いくつかの生花店にお願いし店頭で飾る手書き文字入りのPOPと魚沼杉の子新聞を置いてもらえないかと頼むと同時に一緒に企画を考えてくれる人、写真を撮影してくれる人、ということでお願いしたのが大輔君でした。
彼のFacebookでも、正直にすべてを書いているのですが彼は大きな病気を抱えていて現在も病気療養をしながら生活しています。
その彼が撮るユリの写真がとても好きで彼に頼みました。
手伝って欲しい、、、なんていうサブ役じゃと思ったのでユニットを組もうと。
名前は、フルール ド ネージュ 雪の花という意味です。
魚沼の四季、魚沼で育ったユリを伝えようと思って、今回の様々な企画は進んで行きました。
店頭POP第一号は後山から浦佐に降りる道の途中で雪が山ほどある時期に撮影しました。
第2号は、旧田川入保育園の桜の木です。今まで数えきれない園児の目に映ってきた桜の木。その木が綺麗に雪化粧をしたときに撮影しました。極寒の日でした。
雪で化粧をした桜の木に、私がユリの花をプレゼントをして求愛をしている。という構図です。
その桜がまた春が来て満開に咲いたら、そこでまた写真を撮ろうと。
そんな話をしていた時に、彼が体調を崩し救急車で運ばれて行きました。
彼と約束した桜の木の下での撮影は、出来ないのか・・・・。
その病気をまた克服し、彼を待って咲いた今年も、桜が咲いた。
彼の指揮のもと、桜咲く木の下で 私がユリを花を持って求愛しています。
ユリと関わり続けて、また来年もこの桜の木の下で。
5月中旬を予定していました魚沼杉の子新聞は、店頭は母の日の為に大変忙しいと思いますので月末に延期します。
変わりに、店頭POPをこの撮影した写真で無くて二人でユリを持っている写真で作成し発送したいと思います。
【ユリで、思いを、つたえたい。70年】
平成30年4月19日 魚沼花き園芸組合は創立70周年を迎えました。
厳しく長い雪の季節を越え、魚沼にも桜の花が咲く季節がやって来ました。
こうして、ずっとずっと長い間 魚沼は四季厳しく四季豊かな時間を重ねて来ました。
『この生まれ育った魚沼で生きる』
昭和23年有志8名の思いにより生まれ、戦後食糧難の時代に花を育てるということを自らが選択し歩んできた先人たち。
昭和24年に宝物のような値段の朝鮮姫ユリの種を買い球根を育てるということで勢いを増したと聞いております。
幾多の試練、困難、そして喜びと共に畑に足跡をつけ、拳を握りしめ重ねてきたその歳月70年。
昭和36年に球根を冷蔵して栽培するという偉業を世界初で成し遂げ、今では世界中で一年中ユリの花が咲く。という時代になりました。
ユリを育て、育てたユリを遠方にある消費地に送り届ける。
当時は貨物コンテナに乗せて走ったその花を見届けながら、先人はどれだけ思いを伝えてきたことだろうか。
畑に蒔いた吹けば飛ぶようなユリの種。
雪融けを待ち畑で土を見つめながらその葉が出てくるかとどれだけの思いを重ねただろうか。
時代がどれだけ変わろうとも、きっとその『思い』を『歩み』を止めてはならないと思います。
何も無かった時代に、胸に描いた思いを自らの手で実現してきた先人たちを思えば今私が球根を手にとり土に宿すその瞬間から、この花が見事に花を咲かせ人の心を潤してくれるその願いを込めて。
当時は自らが育ててきた球根が今はオランダから届くようになりました。
昔とユリを咲かせるというまでの仕事は大きく姿を変えてきましたが、昔と変わらず多くの人が関わり続けてその1本のユリがあることに変わりはありません。
この魚沼の露地で育つユリが素晴らしい花を咲かせてくれると信じて伝えてきたに違いありません。
先人の労苦に心から感謝し、今関わり続ける全ての繋がりに感謝し、思いを一つにして咲かせたいユリの花。
夢つないで百年産地へ。
『ユリで、思いを、伝えたい』
【5年目の春 芍薬の発芽と我が家のユリハウス】
平成30年4月14日
ブルドーザーで3月半ば以降に除雪した畑の土がしっかりと顔を出しました。
毎年6月になると切り残した芍薬が満開に咲き、多くの人が見に来てくれる布場平。
真っ赤な芍薬の芽が今年も顔を出してくれました。
株を植えて、2年後に掘り起こして又割って
それを切り花をする畑に植えて丸2年。
気が長くなるほど待ってやっと切り出せる柿の木のある芍薬畑。
今年は5月下旬から切ると決めて今日は保温剤をかけてきました。
まだ、寒い畑。
周囲を取り囲む高い山々はまだ雪化粧。融雪剤を散布していない畑もまだ雪です。
ユリを植えこむ畑のハウスも最初に6棟建てました。
肌寒い短い春を越えたら、一気に芍薬が育ち始めます。
芍薬の開花が初夏を呼び、一気に夏を連れてくる。
今年も長い冬でしたね。
【新潟セレクションリリー】
このタイトルで何回かのFacebookの投稿
をしてきました。
『新潟セレクションリリープロジェクトとは』
新潟県花き振興協議会が事業主体で行っている事業で、オランダからまだ開発途中であるユリ品種を隔離栽培で栽培し新潟県において生産してゆけるこれからのユリを選び出す取り組みです。
この栽培管理は魚沼花き園芸組合が行っており、その内部組織である魚沼花き園芸組合技術委員会と魚沼青年花き研究会が一緒になって定植からすべての管理を行っております。
世界的に見ても、ユリの栽培というものは施設で行われているということが大半を占める中で魚沼の夏のユリ栽培は露地栽培が主体となっております。
そうしたことから、この試験栽培も植え込みから数日まで雪融けから土をいち早く乾かせるという目的で簡易パイプハウスにビニールがかけてありますが露地栽培を選択しています。
この栽培環境での試験栽培は、世界にきっとここだけと思われる露地栽培による隔離栽培であるという事と定植から開花に至るまでの栽培環境を考えると世界一過酷な試験とも言えると思われます。
(隔離栽培とは同科の植物が周囲50m以内に栽培されていないことが条件となります)
定植時の気温 5~10℃(植え付け時、ハウス周囲は雪)
開花時の気温 25℃以上
この厳しい環境での試験栽培では、そのユリの水あげが良いか、大きく育ってくる蕾は強いか、開花した花は強いかが非常に分かりやすいのです。
蕾が膨らむ時期からは雨が多くなり気温も急上昇します。
梅雨の間に急な晴れにより熱風が吹くときもあります。
ユリにとっては厳しい環境下で栽培することにより、暑さに強く輸送に耐えれるか、猛暑の中で綺麗で強い花を咲かせてくれるか。
『おれたちの夏のユリを作り出す』非常に重要な試験栽培なのです。
また、試験圃場はすべての方にも見て頂けるようになっています。
このまた開発途中のユリや品種名がついて間もないユリを一緒に見て頂くことでユリの品種開発に興味を持っていただけたら、一緒に夏のユリを見つけ出してくれたら。と思っております。
平成30年度の植え込みは4月13日に行われました。
35メートルほどの2棟のハウスに各品種がそれぞれ8球づつ、計260品種が植えこまれました。
雪融け間もない圃場に毎年4月11~13日の間に植えこもうと必死な準備作業です。
土が完全に乾く時間もなく、すべてのおいて大変厳しい環境下の中で栽培を担当している人たちが一生懸命にその試験に携わっています。
定植時の地温が非常に低い点と雪融けから定植までの期間が1週間程度しかないことから露地における蒸気消毒を行ってからの定植をしています。
(蒸気消毒とは、蒸気が保有する潜熱を土壌中に放出させて土壌温度を上昇させ、病害虫の駆除を行う技術が蒸気式土壌消毒法です。通常は施設で行われている方法を露地で採用して行っています。)
6月下旬くらいからスカシLA百合が開花し、以降OTユリ OHユリと7月に開花してゆきます。
立派に育ってくれるのか?
定植から、根を張ってしっかりと成育が軌道に乗ってくれるまでは寝ても起きても冷や汗が垂れる毎日を過ごしています。
立派に育って欲しい。そして、多くの方に見て欲しい。多くの方に関わって欲しい。
そんな風にいつも思っております。
【露地栽培 周年営業】
原地区にある僕の鉄骨ハウスの中では、原に住んでいる上野屋という屋号のお母さんがくれた雪割草が優しく咲いています。
この冬から店頭に置いてもらっている僕がリリーアンバサダーとして発行する新聞 魚沼杉の子新聞では年間3回の読者プレゼントを企画していて葉書、メールなどで応募を募っています。
そんなに簡単に応募が来るものではないです。
それが数回の発行を繰り返すうちに、来るんです。
mailで来る人もいました。その方にはmailで返事を返して。
電話番号を書いてくれる人もいました。その方には電話をしてみたり。
書いている私は深い雪の中にて、生産は休止状態です。
その応募をくれる方は、店頭でユリを買って新聞をもらって帰るんですね。
その葉書を読んだり話を聞くたびに面白いなぁと思うことがあります。
店頭に置いてあるユリは、僕が育てたものになっている人が多いのです。
ユリを買いましたよ。また送ってくださいね。と言ってくれる人が多いのです。
どんなにユリのことを知っていても、いつも店頭にユリが置いてあっても
そこで買って頂いて飾ってくれる人との対話が無ければ そこで売ってくれる人との対話が無ければ結局一方通行なんですよね。
一枚の新聞で、一人のお客様の心の扉が開くのあればと思いながら次号の作成に入りたいと思います。
【ご破算で願いましては】
4月に入りました。
小学生の時に唯一勉強するということで習い事をしたことがあります。
『そろばん』です。
8級で引退しました。(笑)
調理場に入る時の面接で人生で何回か書いた履歴書の資格のところに書いたら
8級なら書かなくても良いですからね言われました。
そろばんで習った言葉
ご破算で願いましては。
そんな言葉を日々言いながら過ごした年度末。
手帳が真っ黒になるほどの予定。ダブルブッキングも多々あり。
何とか乗り切ってその先にあるものは、百合の栽培を雪融けと共に再開させることです。
3月入って、百合の球根の引き取りも始まりました。
融雪剤を撒いた畑のブルドーザー除雪も今年は自分でやりました。
ちょっと、忙しすぎて放心状態でしたけどいよいよ始まりますね。
今年度もよろしくお願いします。
雪を耐えて、春を待った魚沼の百合作り。
これで大丈夫、そんなことは絶対にないのです。
日々、百合と向き合ってやれることをやれるだけ今年も頑張ります。
【伝えるとは学ぶこと】
平成30年3月10日 土曜日
晴れ。気温があがり雪が降る日がなくなりました。雨の日もあります。
雪の融けが加速してきています。
3月の雪が無い、というのは春めいて嬉しいという気持ちといつもまだ降る雪が無いという意味では天候は乱れている。と捉えています。
魚沼杉の子新聞の発行の準備を進めています。
少し遅れています。イベントや行事が重なったこともありましたが、どうやって書くかの内容を落ち着いて考えてもいました。
魚沼杉の子新聞は、生産地と店頭を繋ぐパイプです。
やはり、しっかり作り上げて行きたい。
発行が始まってからも、どのような話がいいですか?と聞きながら進めてきいます。
その中であった一つの声。
『カサブランカって百合はみんなが知っていて本当に有名なユリ。特集にしてもいいくらい』という声でした。
というわけで、次号の内容はカサブランカ。
先月、お願いして高知県のリリーアンバサダー生産の佐竹あずささん親子が育ててくれたものを飾りながら観察し、では、実際にカサブランカというものはどこで生まれたのか?
25年も百合を育てていて、そんなことも知らないのですよ。
多忙なスケジュールの中で動く、山喜農園の森山社長に聞きメモを取る。
オランダでのカサブランカの球根を生産する優良な会社と言えばHOPMAN社。
そのSiem Hopman氏。昨年山喜農園のテストハウスでお会いしました。
よし、聞いてみるか、Facebookの友達だし。。。。
赤点7個を何とかクリアして高校を卒業した私がまさか英語を話せる訳もなく、、、
あ いや I LOVE YOU とか I NEED YOU とかなら言えるけど。
ネットの通訳サイトを利用し、質問を分かりやすく英語に変換してメッセージ。
山喜農園の社長と電話したその日に返事がきました。
それをまた、日本語に訳して読む。
俺はバカですけど、嘘やいい加減なことは書きたくはない。
頑張って調べられるなら調べたい。
山喜の森山社長に聞いた話とHOPMAN氏に聞いた話はほぼ同じ内容でした。
今から、40年以上も昔の話なのに。
伝えることとは、学ぶということです。
恥と思えることも教えてくださいと聞くことです。
知ったらぶりをやめて一生懸命に聞いて答えを探して、それを一枚の新聞にシンプルに書く。
明日一気に書き上げます。
15日以降に店頭に並びます。また宜しくお願いします。
お客様が夢のように話をされているピンクのカサブランカがね、、赤いカサブランカがね、、、
お客様、カサブランカは白ですよ。という言葉だけじゃなくて なんでカサブランカがそこまで立派に育ってくれたのか共有して、ユリというものの素晴らしさと一緒に伝えて行きましょう。
さて、魚沼は雪が減ったとは言えまだ山の上のユリを植える畑、芍薬を芽を出す畑は2メートル以上の雪です。
融雪剤を散布して、ひとまずすこし早めに減らす。
それから機械を持って行って雪を片付けます。
まだかまだかと言っているうちに、一気に春がやってくるのです。