身の回りにあって価値があるものになかなか気づけない
年末押し迫る中、一本の電話が入る。
稲穂がついている藁がないか?
もう年末にそのようなものが見つかるかなと思いつつ10本くらいの電話とLINEで思い当たる人たちに連絡し断られる。
最初にかけた一人は、この人ならある。と自信があったが繋がらない。
『あるよ』とお返事を頂けたので、昨日引き取りに行って依頼者にそのまま送り出した。
一面の水田が春には薄緑いろに染まり、それが立派な緑色のじゅうたんのようななって秋に黄金色の魚沼を見せてくれる。
稲穂に実をつけて垂らしながら秋の収穫を迎え今は雪の中だ。
その稲穂が無い。
モノの価値と言うものは面白いもんだなって、つくづく感じることが出来た。
都会では、それがお正月飾りとして 出来れば魚沼のお米で。と思う人がいて。
来年は、自分の稲を取り残ししておいてこうした依頼が来た時にはぜひ提供してあげたいと思う。
実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな
という言葉があるけれど、これは
中身が優れた人格者ほど頭を下げる大切さを知っている、
学問や人徳が身に付いてくると謙虚になるという意味で、
お米の「実」と人間の「中身」をかけたことわざだそうだ。
いきなり来る依頼で自分が学ぶことは多い。